この記事では福沢諭吉の著書・学問のすすめにある諭吉流教育法を紹介しています。
子供の教育方針や受験など、親の立場ではベストな教育を子供に与えてやりたいと思いますよね。
世の中には無数の教育法が溢れていますが、その中で激動の幕末から明治の時代を生き抜いた福沢諭吉ならではの
教育メソッドを紹介します。教育について悩める親御さんの参考になればと思います!
目次
福沢諭吉と著書・学問のすすめ
福沢諭吉とはご存知の通り一万円のあのひとです。
天保5年12月12日(1835年1月10日) – 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。
学問のすすめは日本人なら誰もが知っている福沢諭吉の著書です。学問のすすめは当時(初編1872年)では300万部以上が販売されました。
初版は1冊が10枚ばかりの冊子となって読みやすい作りでした。
ちなみに当時の日本の人口が3000万人ほどですから、10人に1人が【学問のすすめ】を読んだわけなので大ベストセラーだっと言えます。
文体は平易ながら、明治維新の動乱を経て新しく開けた新時代への希望と、国家の独立と発展を担う責任を自覚する明治初期の知識人の気概に満ち、当時の日本国民に広く受容された。おそらく近代の啓発書で最も著名で、最も売れた書籍である。
1776年に発行されたコモン・センスに福沢諭吉が影響を受けていたと考えられます。
アメリカ独立の必要性を説いたコモン・センスはトマス・ペインによって発行され、子供でも読める簡単な英文で書かれていたと言われています。
一般大衆に広く訴求するには短く・簡単な文章がいいのでしょうね。それを福沢諭吉はよく理解していたのではないでしょうか。
諭吉の教育論 勉強は後回し まずは身体を鍛えよ
幼き頃は獣身を成して後に人心を養う
福沢諭吉の教育論の大きな土台として、まずは身体を鍛えよと、いうものがあります。勉強はその次だと言っているのです。
【幼き頃は獣身を成して後に人心を養う】
これは福沢諭吉の著書・福翁百話にも出ており、福沢の著書において多々見られるものです。
福沢諭吉の教育論として第一に体を養うこと、勉強はその後でもOKということを強調しています。
身体が丈夫で病気に強く、体力があれば、勉学は後からついてくるという考えです。
逆に勉学を優先して、身体が貧弱であれば取り返しがつかないとも述べています。
幼い頃から幼児教育、早期教育で頭ばかりを鍛えるのは良くないと福沢は言っており、
繰り返しですが、幼い頃は獣身を成してとあるように、獣のように育てよと説いています。
早期教育に警鐘を鳴らしていた?
教育費の高騰や少子化の影響もあり、子供一人あたりつぎ込むお金は年々増えています。
中学受験は流行り・ブームでは終わらず、一部の地域では“当たり前”になりつつあります。
いわゆる【お受験】のために、早くから言葉教え、5,6歳で文字、漢字などを教える親もいますよね。
未就学児にハキハキしゃべらせて、年長さんぐらいなのに、最早小学校高学年くらいかなと見間違うほどに子供を“仕上げる”ケースも多くあるようです。
しかし福沢はそういった早期教育に関しては是とするどころか、真逆の主張をしています。
子供は獣のようなしなやかで、はつらつとして成長しているほうが大事だと語っています。
早期教育肯定派の意見も間違っていはいないが、、、
一方で知育に関する早期教育の重要性を主張する人たちもいます。
例えば胎教から教育すべしという考えがあり、お腹の中に赤ちゃんがいる頃からクラシックなどの良い音楽や言葉を聞かせたりすることを推奨している学者もいますよね。
子供を医者にしたいと願うならば、確かに小学校から塾通いで勉強漬けにしたほうがいいのかもしれません。
高校生ぐらいから、医者を目指す!といって医学部に入れるのは本当に限られて才能を持つ人だと思います。
医学部志望者の多数は中学受験から始まり、勉強漬けの青春を送っていますよね。
バイリンガルに育てる教育も早期教育の一例です。言語の発達は幼児期の学習効果が非常に高いのはご存知の通り。
しかしバイリンガルに関しては中途半端にやってしまうと母国語がはっきりしないというリスクを伴います。
世の中に完璧にバイリンガルな人って少ないのでは?と思うことがあります。
芸能人やタレントさんでバイリンガルやハーフの人は多くいます。
でも顔はハーフでも日本生まれ日本育ちで日本語ネイティブで日本語以外は話せない人たちの言葉は、当たり前ですが完璧ですよね。
一方で、外国語も話せる人はどこか母国語の日本語も不自然だったりします。
歌手の宇多田ヒカルさんが言っていましたが、バイリンガルとして2カ国語がネイティブ並みにするには2つの言語をしっかりと学ばないと
ほったらかしでは、どちらも中途半端になると言っていました。
有名人が子供をインターナショナルスクールに通わしていますが、バイリンガルにしたいという目的のみではないでしょうが、
英語も話させたいという目的でスクールに通わすのは疑問に思う点もあります。
勉強は小学校高学年か中学校からでOK!
福沢の考えでは勉強をさせるのは7歳か8歳になってからだと言っています。
「先ず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義であるから生まれて3歳から5歳まではいろはの字も見せず、
7歳8歳にもなれば手習いをさせたりさせなかったり、まだ読書はさせない。
それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気をつけてやり、また子供ながらも卑劣なことをしたり、賤しい言葉を真似たりすればこれを咎めるのみ。
その他は一斉に投げやりにして自由自在にしておくその有様は犬猫の子を育てると変わることはない。これが獣身を成すの法」
著書・福翁自伝に上記のような文章があります。
ポイントは以下の通り。
- 勉強に関しては小学校からで十分。
- 小学校から勉強はするが、身体を鍛えるほうが優先。
- 身体作りの時期に勉強を優先すべきではない
- 将来、猛勉強に耐えうるだけの体力を養うことが出来る
小学校の低学年ぐらいまでは勉強よりかは体作りを行い、
それ以降の高学年から中学校にかけて勉強のアクセルを踏んでいけばよいと教えています。
福沢自身が小学校の低学年までは全然勉強をしなかったし、高学年~中学校で猛勉強をして他を一気に追い抜かしたと著書・福翁自伝にあります。
それも猛勉強に耐えうるだけの体力があってこそだと語っています。
自分が小学生の頃はどうでした? 過去の自分を思い出してみる。
この話を聞いて、実は僕自身がハッと気づいたことがありました。
例にもれず僕自身も子供の教育に対して熱心な考えを持っていました。
福沢諭吉の考えに触れて、あまり肩に力が入りすぎると良くないなと痛感しました。
我が子とはいえ、一人の人間です。他人の人生を自分の思い通りにしようという考えはオカシイかったかなと反省しています。
自分が小学生の頃を思い出すと、低学年から高学年にいたるまでひたすら遊んでいたなと記憶しています。
毎日、日が暮れるまで友達遊んでいました。僕の家庭は門限が18時30分(夏は)だったのですけど、遊びに夢中で門限を過ぎて帰宅したら親父に激怒されたのを未だに覚えています。
勉強した記憶あまりないなぁ、、と思い返すと感じるのです。
皆さんはどうでした?
特に親から「勉強しろ、宿題しろ」と言われた記憶もないですし、通信簿を親に渡して成績のことで説教された記憶もない、、、。
多分僕の通信簿で成績が良いのって体育ぐらいだったと思います。
人間押し付けられれば反発するものですし、自分の理想を子供に押し付けるのは何か違うなぁと感じました。
完全に放任するわけではないのですが、親があれやれこれやれ、こうするな、ダメだと事細かに口を挟むのは良くないなと思いました。
仮に僕が子供の立場で、親にあれやこれや言われたら絶対煩わしいなと思いますしね。
子供にどうしても医者に弁護士になって欲しいという親御さんがいて、その気持ちも分からないではないのですが、、、、
子のいる親の悩みどころですね。
悩むなら、先人を参考にしてみよう
- 絶対将来は東大に!
- 医者に必ず!
- 弁護士に!
という考えがなければ、諭吉先生にならってみてはどうでしょうか!
【幼き頃は獣身を成して後に人心を養う】
- 小学校低学年頃までは獣のように遊ばせておくべし
- 勉強は小学校から始めるが、基本は身体優先
もう獣のように好きにやらせばいいと私は開き直って子どもたちを見守っています。
諭吉メソッドの真髄は、沢山遊んで様々な経験をすることで、
- 身体を鍛えつつ、
- 自分の好きなことを見つけたり、価値観を養う
という点にあります。
小学校くらいまで遊びをとおして体力と集中力を鍛えます。
この体力と集中力が遊びではなく勉強に向かえば勉学においても凄まじい効果を発揮するということが期待できるでしょう!
教育方針について悩みがあるかたは是非参考にしてもらえたらと思います。
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